先端はまだ尖っていない

平素より大変お世話になっております、ギター講師の長濱です。

ブログ、すっ飛ばしていました。いかん、何をやっておるのだ。

 

はてさて、何かしら忙しい感じもありますが基本的には素敵に過ごしております。

最近生徒さんとの会話でよく「枝分かれ」の話をいたします。

楽器を手に取り、その先どうなっていくのか、どこに行きたいのか、何を求めているのか、の分岐の事ですね。

 

例えば、ギターを買って練習して、かっこいい曲を見つけてまた練習して、そのかっこいい曲をライブで演奏したいとなる。それはそれは素敵なことです。

しかし中には「別に人前でやるのは興味がない」という生徒さんも多々いらっしゃいます。それも素晴らしいことなのです。

私もそうです。上手に弾くこと、かっこよく見せることに意味を見出せずにおります。それでいいのか?と悩むときもあります。

しかし私は「なぜこの音なのか」「そもそも誰がやりだしたのか」「どんな時代背景をもとにこれが生まれたのか」を理解し、咀嚼し、そして演奏したいのです。

その演奏する場所は自宅やスタジオで十分満たされています。

 

どんなことにも分岐は存在して我々は現在「先端」に居ます。しかしそこは「現在」先端であるだけでまだまだとがってはおらず、その先があるのだなぁと。

そして、幹に戻ってもう一度分岐を楽しむことも。そして結局同じ道を歩んだり。

そんなことを考えると楽しくなってきます。

楽器に限ったことでなく、楽曲との出会いも分岐ですよね。

 

私は現在分岐の果て、台北のポップスにたどり着いています。

張懸さんの寶貝です。